新『起承転々』〜漂流篇VOL.19 生き残りをかけた長期戦略

生き残りをかけた長期戦略

 ローマ歌劇場日本公演をなんとか無事終えることができた。ローマ人が全員撤退し、ようやく少し平穏な日々が戻ってきた。前号で観客の高齢化が進む一方、若い世代の観客が育っていないということを書いたが、今回のローマ歌劇場の公演にお越しいただいた方からも、そのことを何度か話のタネにされた。
 8月末にミラノ・スカラ座の総裁アレクサンダー・ペレイラが上海に向かう途上東京に寄ったので一夕をともにした。いま彼が一番力を入れているのが子ども向けのオペラで、次世代の観客を育てることがいかに重要かを滔々と語っていた。ローマ歌劇場とともに来日していたカルロ・フォルテス総裁にも聞いてみた。フォルテス総裁も次世代の観客を育てることが重要だという認識で、ローマ歌劇場では子ども向けの公演を大小の劇場で年間45公演やっているという。私の知るかぎり、ヨーロッパのオペラハウスはどこも若い観客の育成に力を入れている。
 「Forbes JAPAN」(2017/10/15)で「『450年先』を見据える英国ロイヤル・オペラの長期戦略」という見出しの記事をみつけた。この見出しは「オペラには450年の歴史があり、この先450年は続くはず」というアレックス・ベアード総支配人の発言からとられている。英国ロイヤル・オペラハウス(以下、ROH)は、オペラとバレエの1年間の公演数は約320回にのぼり、入場者数は70万人を超え、入場率は96パーセントを誇る。NBSは1979年、86年、92年とROHを招聘してきたのだが、その後1992年から2010年まで18年間のブランクがある。その理由は、1990年代のROHは現在の状況からは想像できないほど低迷していたからだ。チケットの売れ行きもかんばしくなく、当時私はROHの楽屋口を入ったところに、従業員に向けて公演のチケットを買ってくれという内容の張り紙が掲示されているのを見つけて、ショックを受けたのを憶えている。劇場の建物自体が老朽化していたが、1996年から4年間かけて改装。2001年にはBBC出身のトニー・ホールが総支配人に就任し、スポンサーの獲得やファンドレイジング活動を推進するとともに、サッカー・チームのマーケティングのプロを雇い入れるなど、他業界の顧客戦略を取り込んで立て直しに成功した。トニー・ホールの後をアレックス・ベアードが継いでいるが、いまでは世界でもっとも勢いのあるオペラハウスといっていいかもしれない。
 ROHは新しい取り組みに積極的だ。年に3回国内15か所で無料の野外パブリックビューイングを行い、同時にYouTubeでライブ配信もしている。もっとも成功しているのがYouTubeチャンネルで、登録者数は26万人を超え、ツイッターやフェイスブックなどを通じて、週に100万人以上がROHのオンラインコンテンツを目にしているという。ロンドン外からの潜在顧客と若い世代の観客の取り込みにも力を入れている。いまROHの来場者の48パーセントはロンドンの外からであり、1万9000人以上の学生が「ROHステューデント」に登録し、1~25ポンド(約150~3,750円)という安さでチケットが買えるという。
 ROHが未来に向けて投資してきた一番の理由は、オペラやバレエはグローバルな芸術だが、「オペラの本場」といえばやはりイタリアとドイツで、英国は“後発組”だということによる。日本はもっと後発なだけに、ROHに見習うべき点は多い。NBSは来年6月に英国ロイヤル・バレエ団、9月に英国ロイヤル・オペラを招聘することになっているので、これまで彼らが蓄積してきたノウハウを根掘り葉掘り聞き出したいと思っている。われわれが抱える課題は山ほどあるが、優先順位一番で官民あげて真剣に取り組まなければならないのが、若い世代の観客を育てることではないだろうか。
 ベアード総支配人は「450年先」というが、私は彼ほど気が長くないから、せめて「45年先」を見据えた戦略が必要なのではないかと思っている。10歳の子どもたちにオペラやバレエの公演を見せ、興味の種を撒いておけば、仕事や家庭で忙しい20~40代は劇場から足が遠のいていたにしても、45年後に彼らが55歳になったころには、きっと劇場に戻ってくるにちがいない。
 NBSも若い新しい観客を開拓するため、バレエに関しては〈めぐろバレエ祭り〉と〈上野の森バレエホリデイ〉を試行錯誤しながら開催している。オペラも2012年のウィーン国立歌劇場日本公演の際に、初めて〈小学生のためのオペラ『魔笛』〉を上演した。今後、オペラの引越公演のたびに、あわせて子ども向けのオペラもできないかと検討しているところだ。問題はいかに資金を調達するか。子ども向けオペラにしてもバレエにしても、入場料を安く抑えなければならないから、国や地方自治体の助成、企業スポンサーがつかなければ、実現するのは難しい。次世代の観客を育てるプロジェクトに賛同してくれる人が増え、財政面でも官民が連動してしっかり支えてくれる体制ができることを切に願っている。