バレエ・リュスがモンテカルロを本拠にしてから100年。最先端の美が日本上陸!
鬼才ジャン=クリストフ・マイヨー率いる
モナコ公国 モンテカルロ・バレエ団
2012年日本公演
バレエ・リュスの伝統と精神を継ぐ モナコ公国 モンテカルロ・バレエ団
1909年、希代のプロデューサー、セルゲイ・ディアギレフのもと、ヴァツラフ・ニジンスキーやタマラ・カルサーヴィナといったスターたちを擁したバレエ・リュスのパリでの初公演は、新しい時代のバレエを鮮やかに示してヨーロッパに一大旋風を巻き起こしました。その2年後の1911年、バレエ・リュスは地中海を望むモナコ公国のモンテカルロという本拠地を得て、バレエ団としての活動を開始することになったのです。 第一次世界大戦をはさんで1929年まで、バレエ・リュスはモンテカルロにおいて、いまや伝説となっている多くの名作を準備し、毎年春にはパリ・オペラ座と同じ設計者ガルニエによる赤と金の装飾が華麗な歌劇場において公演を実施。フォーキンが振付け、ニジンスキーが舞った「薔薇の精」をはじめ、この地で初演された作品も枚挙にいとまがありません。 ディアギレフの死によってバレエ・リュスは解散したものの、3年後にはモンテカルロ歌劇場の後援のもと、ルネ・ブリュムとワシーリィ・ド・バジル大佐を団長として、新たにバレエ・リュス・ド・モンテカルロが結成されます。二人はディアギレフの精神を受け継ぎ、ドラン、クリスチャン・ベラール、ミロ、デュフィらに美術・衣裳を委嘱。その後ルネ・ブリュムによる第2次バレエ・リュス・ド・モンテカルロ、1947年のクエヴァス侯爵によるグラン・バレエ・ド・モンテカルロを経て、一座はモナコを離れます。 1985年、モナコ公国のグレース公妃の遺志を継いだカロリーヌ公女が、パリ・オペラ座のエトワールだったギレーヌ・テスマーとピエール・ラコットを芸術監督に招いてモンテカルロ・バレエ団を復活させ、ディアギレフ時代の数々の名作がレパートリーとして蘇りました。1988年からのジャン=イヴ・エスケル時代を経て、1993年からは振付家のジャン=クリストフ・マイヨーが現職に就任。マイヨーはバレエ・リュスの創造的な“精神”を受け継ぎながら、モンテカルロ・バレエ団を、現代を生きる創造的カンパニーとして牽引しています。
セルゲイ・ディアギレフ
ヴァツラフ・ニジンスキー
パリ・オペラ座と同じ設計者によるガルニエ・ホール
モナコ公国 モンテカルロ・バレエ団
芸術監督・振付 ジャン=クリストフ・マイヨー
カルメン・アンドレス、エイプリル・バール、アンハラ・バルステロス、アーニャ・ベーレント、シヴァン・ブリッツォーヴァ、ラファエル・ボシャール
ステファン・ボルゴン、ベルニス・コピエテルス、ピョートル・ツォボヴィッチ、ダニエル・デルヴェチオ、フランチェスカ・ドルチ、レアルト・デュラク
アシエル・エデソ、エディス・アルゴチ、サブリ・ガレム=シェリフ、ラモン・ゴメス・レイス、ジュリアン・ゲラン、ヴァネッサ・ヘンリケス
小池ミモザ、カタジェナ・クチャルスカ、ロドルフ・ルカス、ジェローム・マルシャン、ジョイア・マサラ、サラ・ジェーン・メドレー
ジョバンニ・モンジェリ森真琴、ガエタン・モルロッティ、フランセス・マーフィ、アレクシス・オリヴィエラ、ジェオルジェ・オリヴィエラ
ノエラニ・バンタスティコ、イアン・パーソンズ、エリン・バタック、クイン・ベンドルトン、アルヴァロ・プリート、ガエラ・リウ
クリス・ローラント、ブルーノ・ロケ、カロリン・ローズ、モード・サボラン、アンヌ=ラウラ・セイラン、スティーヴン・スチュワート
田島香緒理、ベアトリス・ウァルテ、アシエ・ウリアゼレカ、ジェローン・ヴェルブルジャン、レネケ・ヴォス、シモーヌ・ウェブスター
※表記は2011年11月25日現在、モンテカルロ・バレエ団に所属するダンサーです。 日本公演の際には変更が生じる場合があるますので、ご了承ください。 また配役はモンテカルロ・バレエ団の方針により、公演当日に発表いたします。