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Photo: Victor Santiago

NEW2022/06/15(水)Vol.448

〈旬の名歌手シリーズ〉
ソニア・ヨンチェヴァ メール・インタビュー(後編)
2022/06/15(水)
2022年06月15日号
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オペラ

Photo: Victor Santiago

〈旬の名歌手シリーズ〉
ソニア・ヨンチェヴァ メール・インタビュー(後編)

ソニア・ヨンチェヴァのメール・インタビュー後編は、子どものころのこと、音楽の道への始まりなど、いわば"歌手ソニア・ヨンチェヴァの原点"とでもいえる内容。社会情勢や自身の家庭環境などをフランクに応えてくれた興味深い内容となっています。

「将来何になりたいかなど全く分からなかった私に、
母は"次に誰かに聞かれた時には、音楽家になりたいと答えなさい"と言いました」

――少しプライベートなことを伺います。どんな子どもでしたか? ご家庭は音楽的な環境だったのでしょうか。また、ご自身の音楽への想いや、プロの歌手になりたいと思われたのはいつごろだったのでしょう?

ヨンチェヴァ:私の家族は音楽一家ではありませんでした。父は小さなガレージで車を修理する整備士でした。私は毎日、ガレージで父と過ごし、車の修理のやり方を学んでいました。何がどうなっているのか、すべてを知りたくて、私は毎日、全身真っ黒になっていました。そうした父の仕事は、私にとっては世界で一番素敵な仕事であり、本当に誇りに思っていたのです。でも母は、私を音楽の世界に導いたのです。ほとんど霊媒師的な予知能力だったのか......。将来何になりたいかなど全く分からなかった私に、母は「次に誰かに聞かれた時には、音楽家になりたいと答えなさい」と言いました。「でも、どうやって?」と聞く私に、母は「どうやってかは、お母さんが見せてあげるから」と。そして私に、児童合唱団のオーディションに行ってみたくないか、と尋ねました。

ブルガリアには豊かな合唱の伝統があります。ブルガリアで音楽を学ぶことは、とても特別なことと考えられていて、歌の才能を見出すための様々な組織がありました。幼い子どもたちに関しては、音楽に対する"耳"があるかどうかに重点が置かれていました。〔オーディションに初めて行ったとき〕私は6歳で、起立して歌いなさいと言われた途端、なんと走って逃げ出してしまいました! 母はすっかり恥じいりながらも私を追いかけてきて、泣いている私を連れ戻し、先生方の待っている部屋に押し込みました。

逃げ場を失った私は、歌いましたよ! 童謡1曲と、先生が歌われたいくつかの単純なメロディーを繰り返して。先生方は、私には"良い耳"があるので、すぐにでもピアノのレッスンを開始できる、と判断されました。そしてピアノ・レッスンを始めてみると、私はすっかり好きになったのです。私の子ども時代は、共産主義のブルガリアでとても難しい環境で生きていました。やがて「鉄のカーテン」が終わっても、うちにはお金はありませんでしたが、母は私にピアノを買って与えたいと思っていました。

当時のブルガリアには、食料はほとんどなく、商店にも品物がほとんどありませんでした。電気も〔電力不足で〕3時間おきに通ったり、停電したりでした。なのに母ときたら、私にピアノと楽譜を買ってやるのだ、という大妄想の真っ只中だったのです! 私にはそのことが全く理解できませんでした、家族のための家計の中から、なけなしのお金を、私と芸術のために使おうとしているだなんて。母はいったいどうやって6歳の私に音楽の才能があると気づいたのか、と考えると今だに時々、鳥肌が立ちます......。ピアノのレッスンのほかに、すぐに児童合唱団で歌も始め、15歳まで歌い、その後、21歳まで大人の合唱団で歌いました。自分が歌えることに気づくと、すべてがとても自然に感じられました。

その後、何人かの歌の先生から様々なことを学ぶと、私はだんだんと自分の"耳"、つまり自分の聴覚を信じるようになっていきました。実際、ある特定の音色を愛するから歌ってみる、というようになっていきました。例えば、誰かの歌を聴いて「まさにこれだわ、凄いわ! どうすればこんな音色を出せるのか知りたい」と考えたりして、すでに私の発したい音色の具体的なアイディアがあったわけです。パトリック・ジュースキントの「香水」という映画をご覧になった、あるいは本をお読みになったことがあるでしょうか。まさにあのストーリーと私は同じでした。「香水」の主人公が完璧な香りを探求するように、まさに私も完璧な音を求めていました。そうやって少しずつでしたが、私は自分の声音を、望む音質に近づけていこうとしていました。

ミラノ・スカラ座『ボエーム』より
Photo: Brescia e Amisano Teatro alla Scala

――プライベートでは何をするのがお好きですか?

ヨンチェヴァ:私は2人の子どもの母なので、まずはできるだけ多くの時間を彼らとともに過ごすようにしています。家族優先です。でもそのほかで言えば、写真に興味があり、自分で撮影した写真だけのインスタグラムもやっています。絵を描くのも好きで、リラックスのために趣味で描いています。13歳の頃、絵か音楽かで選択をしなければならなくなったとき、音楽の方がより得意だったので、音楽を選びました。でも絵は今でも私の心の中で特別なものです。

ベルリン国立歌劇場『メデア』より
Photo: KAMIL ZIHNIOGLU EPA-EFE REX Shutterstock

――貴方が立ち上げられたプロジェクト、「SY11」* についてお聞かせください。

ヨンチェヴァ:新型コロナウイルス感染が始まり最初のロックダウンの間、突然に自分の自由時間が多くなった頃に「SY11」の創設に思い至りました。当初は2020年の夏に、私の故郷であるプロヴディフでコンサートを1回開催することを計画したのですが、皆さんからは私が狂ったのか(クレイジーだ)と思われました。このコロナ禍の時期にチケット販売はどうするのか、たった2カ月でどうやって準備できるのか? でも最終的に、コンサートは大成功しましたので、私はこれを継続しようと決めました。観客そして参加くださった方々、皆さんがこの企画に感謝してくださり、この時期に心に残るような何かを企画する、ということが可能になりました。おかげで私もとても前向きになれました。私たちの業界において、何かしらの変化をもたらすこと、それはつまり私が好きな人々とともに、音楽業界に積極的に働きかけられる一員となれることが嬉しいのです。昨年の夏には、ソフィアのアレクサンドル・ネフスキー広場で、プラシド・ドミンゴとともに大きな野外コンサートを開催しました。アレクサンドル・ネフスキー大聖堂という素晴らしい教会の前でです。見事な舞台背景で、とても好評でした。

*「SY 11」は、コロナ禍の2020年にソニア・ヨンチェヴァが世界の舞台と故郷の両方で独自のコンサートパフォーマンスを行うことを目的として設立されたSY 11 Events Ltd.により運営されています。 これまでに、同社はプロヴディフとソフィアでのガラコンサートのほか、ジュネーブ、バルセロナ、ブリュッセルなどのツアーを開催してきました。

――7月の日本デビューに向けて一言お願いします。

ヨンチェヴァ:日本のこと、日本の皆さんのことは良いことばかり聞いています。とても礼儀正しく、お互いとても親切だと。日本の聴衆の皆さんはとても詳しく、熱心だともお聞きしています。ですから初めて日本に伺い、皆さんの前で歌えることを心から楽しみにしています!

(前編はこちらから)

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〈オペラ・フェスティバル〉特別企画
旬の名歌手シリーズ2022-I
ソニア・ヨンチェヴァ ソプラノ・コンサート

2022年
7月2日(土) 15:00

会場:東京文化会館

指揮:ナイデン・トドロフ
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

プログラムほか公演の詳細についてはこちらから

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