音楽ジャーナリストの飯尾洋一さんによる、大好評の連載コラム第4弾!今回はオペラを「観る」という原点に立ち返り、改めてオペラの楽しみ方を提案してくださいました。ぜひご一読ください。
オペラは見たままに理解する
いよいよバイエルン国立歌劇場『タンホイザー』のプレミエまであと15日!日本公演まであと4か月です。音楽ジャーナリストの飯尾洋一さんによる、大好評の連載コラム第三弾をお届けいたします。
『タンホイザー』、社会に抑圧された若者の物語
キリル・ペトレンコ(バイエルン国立歌劇場音楽総監督 / 『タンホイザー』指揮)
今回のバイエルン国立歌劇場来日公演で上演される演目はワーグナーの『タンホイザー』とモーツァルトの『魔笛』。たまたまだろうが、この両作にはうっすらと共通項も感じる。ストーリーの前半と後半とで微妙にタッチが異なるところや、教義や儀式の物語である点が、少し似ている。
おそらく、『タンホイザー』はワーグナーのオペラのなかではもっともフレンドリーな作品といえるのではないだろうか。ワーグナーのオペラに接する際に必要なのは、まずは気合い。『パルジファル』とか『神々の黄昏』とか『ニュルンベルクのマイスタージンガー』などの長大な作品の場合、自分は滝に打たれる気分で劇場に向かう。なにせ、これらの作品は長い。お尻が痛くなるくらい長い。でも、音楽は最高にすばらしい。心はいつまでもこの音楽に浸っていたいと願う一方、体が悲鳴を上げるのがワーグナー。たとえるならチャンピオンズリーグの試合に出場するサッカー選手くらいの気合で、万全のコンディションを整えて劇場に向かわなければ作品に太刀打ちできない。
その点、『タンホイザー』の上演時間は正味3時間と少しくらいの長さで、まだ救いがある。音楽的にもストーリー的にも比較的明快。それでもワーグナーである以上、圧倒的な音楽体験をもたらすという意味で滝行にはちがいないのだが、『パルジファル』が真冬に高さ20メートルくらいの大滝に打たれるのだとすれば、『タンホイザー』は真夏に水浴びも兼ねてリフレッシュするカジュアル滝行くらいのイメージだ(想像だけど)。
『タンホイザー』はストーリーもおもしろい(以下ストーリーの核心に触れるのでネタバレあり。そんな注意が古典的オペラに必要かどうかはともかく)。騎士タンホイザーは禁断の地ヴェーヌスベルクで愛欲の女神ヴェーヌスの虜となっている。ビバ快楽。しかし人間、快楽だけの日々にはいつまでも浸っていられないもの。タンホイザーは清らかな乙女エリーザベトが待つ人間界へと帰ってくる。
ところが、せっかく帰ってみると、人間の世界もいいことばかりじゃない。最初は帰還を喜んでくれたヴォルフラムら騎士仲間たちも、タンホイザーがうっかり「うひょっ!ヴェーヌス最高~」と口を滑らせたばかりに、彼を罪人扱いする始末。唯一、味方してくれたエリーザベトのとりなしによって、タンホイザーはローマ教皇に赦しを請うべく、巡礼の旅に出る。しかし教皇はタンホイザーを赦してくれない。
「この手にある杖に緑の葉が生い茂らない限り、お前が救われることはない」
なんという無理ゲー。杖に緑の葉っぱなど生えるわけがなかろう。自暴自棄になったタンホイザーは、ヴェーヌスのもとへと帰ろうとするが、エリーザベトが自らの命を犠牲にして天に祈りを届ける。タンホイザーも絶命するが、教皇の杖に緑の葉が芽吹く。タンホイザーの魂は救済されたのだ......。
このオペラは自分のなかでは「ダメ男もの」に分類されている。ひとりの男がふたりのステキな女性の間でふらふらするというのは、(オペラに限らず)ダメ男ものの黄金パターン。ヴェーヌスいいなあ、でもエリーザベトもいいなあ、でもやっぱりヴェーヌスのところに帰ろう、と主人公がふらふらする。そう書いてみると、ビゼーの『カルメン』とも似ている。カルメンとミカエラの間で揺れるドン・ホセみたいな男がタンホイザー。
見逃せないのは、タンホイザーは「モテる」ということだ。ヴェーヌスにも求められ、エリーザベトにも愛される。タンホイザーには選択肢がある。ひるがえって、ヴォルフラムら騎士仲間ときたらどうだろうか。ヴェーヌスにもエリーザベトにも相手にされないモテない男たちは、タンホイザーを責めることしかできない。言ってることは立派なのだが、さっぱり共感を呼ばないタイプの男たちである。それって、親切心に見せかけたタンホイザーへの嫉妬なんじゃないの?
好き勝手に愛欲の女神と聖女の間を自由に往来する型破りな新世代騎士になってたかもしれないタンホイザーが、周囲に咎められて悔い改めることになったばかりに、エリーザベトともども命を落とすことになってしまった。「救済なんかより現世が大事だよっ!」という視点で見れば、社会に抑圧された若者の物語として、タンホイザーに共感を寄せることも可能なんじゃないだろうか。
『タンホイザー』は、序曲がコンサートでもしばしば単独で演奏される人気曲となっている点も心強い。というのも、この入念な序曲は本編に対する音楽的な予習機能を持っている。冒頭の厳かな主題は本編で巡礼の合唱として登場する。中間部で奏でられる妖しくにぎやかな音楽は愛欲の女神ヴェーヌスへの賛歌。とても楽しそうである。しかし、ふたたび巡礼の合唱が返ってきて、雄大なクライマックスを築いて荘厳なムードで序曲を閉じる。どうやら快楽は退けられて、聖なるものが勝利を収めるのであろうという結末が早くも音楽のみから予感される。ふたつの対立する世界が音楽の性格によって雄弁に描き分けられているのも、『タンホイザー』の親しみやすいところだろう。
クラウス・フロリアン・フォークト(『タンホイザー』タンホイザー役)
バイエルン国立歌劇場日本公演で『魔笛』の指揮をとるアッシャー・フィッシュ。
この3月、新日本フィルの演奏会のために来日したマエストロにお話をうかがいました。
インタビュー第二弾をおとどけします。
★指揮者フィッシュの目~「『魔笛』にはモーツァルトの気持ちが見えます」
指揮者でもありピアニストでもあるマエストロ・フィッシュは、指揮を手がける多くの作曲家のなかでもモーツァルトは特別な存在なのだとか。モーツァルト自身を『魔笛』の登場人物で考えるならパパゲーノ的なキャラクターだったのではないか、と分析。
「ただ、モーツァルト自身はヒューマニストでもあったので、ザラストロのような人格者の重要性も理解していたのでしょう。ザラストロを好ましい人物にしようとしていることは音楽自体が描いている・・・モーツァルトの気持ちが見えます。」
指揮者ならではの感性は演出を通したなかにもうかがわれます。
「エヴァーディングは、パミーナ、タミーノ、ザラストロの三重唱<私たちは、もう会えないのですか>(第19曲)を、第2幕の冒頭に移しています。これは音楽的な要素ではなく、ストーリー的に考えられたもので、私もこの方が良いと思っています。モーツァルトがなぜ、19番目にしたのかがわからないくらい(笑)。第19曲の三重唱は、『魔笛』のなかでも一番好きな曲かもしれません。なんともいえない気持ちになって・・ワクワクするんです。」
"天才的な仕事がされた作品"と惚れ込む『魔笛』、これまでの共演経験をもとに日本公演のキャスティングにも関わったとのこと。歌手たちの魅力を紹介していただきました。
「ザラストロ役のマッティ・サルミネン! これはもう涙が出るほど嬉しいことです。彼は私に最も影響を与えてくれたバス歌手なんです。つい先日亡くなったクルト・モルとサルミネンの二人は、私にとっては何よりも素晴らしいバス歌手です。経験を重ねたベテラン歌手がステージに立つということは、すごく安心感をもたらすものなんです。サルミネンは別格ですね。彼の場合は、もしかしたらこれで引退ということもあるかもしれないし、特別感はあると思います。
タミーノ役のダニエル・ベーレは、素晴らしいテノール! フリッツ・ヴンダーリヒ(注1)のような声といわれるベーレの声は、ヴンダーリヒ同様にタミーノにとても合っています。
パミーナ役のハンナ=エリザベス・ミュラーとは、デビューしたころから知っていて、もう何度も共演しているのですが、共演するたびに大きく成長していることを感じさせられました。素晴らしい声です。
パパゲーノ役のミヒャエル・ナジは、まさしくグレート・シンガーです。パパゲーノには歌うだけではなく、演技力も要求されますが、彼はとても面白いし声量もとてもあります。今後はもっと大きな役も歌っていくことになるはずです。」
作曲家、演出家、そして歌手たち、すべてに深い愛情を注ぎ込むマエストロのタクトのもと上演される歴史的名プロダクション『魔笛』に、期待が膨らみます。
(取材・文/吉羽尋子)
(注1)フリッツ・ヴンダーリヒ...1930年生まれのドイツのテノール。2オクターヴを超える声域と輝くような澄んだ声で20世紀最大のテノール・リリコと目されている。故パヴァロッティが歴史上もっとも傑出したテノールとして名を挙げている。
★バイエルン国立歌劇場2017年日本公演 公演の詳細はコチラ>>>