新『起承転々』〜漂流篇VOL.17 「世界バレエフェスティバル」を創った男

「世界バレエフェスティバル」を創った男

 いま「第15回世界バレエフェスティバル」の真っ只中だ。今号では何をテーマに取り上げようかと考えたときに、やはり「世界バレエフェスティバル」しかないだろうと思い至った。「世界バレエフェスティバル」(以下、WBFと略す)は1976年にNBS・東京バレエ団の創立者・佐々木忠次が始め、3年ごとに開催して今年で15回目という大きな節目を迎えた。
 じつは私は奇遇にも初回からこのWBFに関わっている。当時はまだ学生だったが、先輩に駆り出されて、何人かの学生アルバイトの一人として初回を手伝うことになったのだ。特段バレエに興味があったわけではなかった。第1回は「眠れる森の美女」「白鳥の湖」「ジゼル」全幕バレエを全国で上演したうえ、現在のような「ガラ」を東京で3回、大阪で1回上演した。私の最初の仕事は電車を乗り継いで1,500万円ほどの現金を山口県防府市の公演会場に届けることだった。どこの馬の骨とも知れない学生アルバイトに大金を運ばせるというのも大胆というか無謀だが、当時はいまと違って銀行送金も手軽にできない時代だったのだ。防府までの長旅だったが、若かった私はお金のことが気になって居眠りもできず、持ち逃げする勇気もなく、緊張しながら電車に乗っていたのを憶えている。最初に佐々木に会った印象が、また強烈だった。WBFの「ガラ」の初日は、東京ではなく大阪のフェスティバルホールだったが、佐々木は喋っても声が出なかった。言いたいことを紙に書いて周りのスタッフに渡していた。この人は声が出ない可哀想な人なのだと思ったが、後で極度のストレスから急に声が出なくなったことを知った。第1回、第2回のことを知る人がいつのまにか少なくなってしまって、気がついたら私が戦争体験の語り部のように、後世に語り継ぐ役割を負わされていることに愕然とした。
 佐々木は2003年の第10回開催に際し、WBF誕生のエピソードを書き残している。「第1回目を開催するにあたり心を砕いたのは、まず日本に『世界バレエフェスティバル』あり、とその存在を強く世界にアピールすることだった。インパクトがある話題性が必要だった。当時世界四大バレリーナと称えられるダンサーたちがいた。英国のマーゴ・フォンテイン、ソビエト(当時)のマイヤ・プリセツカヤ、キューバのアリシア・アロンソ、それにイタリアのカルラ・フラッチである。私は何がなんでもこれらの名花たちを一堂に集めなければ、このフェスティバルの将来はないと考え、『日本のバレエ界のために一肌脱いでくれ』を殺し文句に、彼らを口説き続けた。奇跡は起こった」。この文章によれば、四大プリマが「日本のバレエ界のために一肌脱いでくれた」からこそ、WBFがあり、こんにちの日本のバレエ界の繁栄があるということになる。WBFがなかったら、いま日本のバレエ界はどうなっていただろう。オペラやオーケストラよりも一早く国際化が進んだのは、WBFの影響が大きいと指摘する人は多い。
 偶然なのだが、今回のWBF開催に時期を合わせたように佐々木の生涯を描いた桜沢エリカ画によるコミック本「バレエで世界に挑んだ男」(光文社)が刊行された。大のバレエファンの桜沢さんは「孤独な祝祭 佐々木忠次」(追分日出子著/文藝春秋)を読んで、すぐに「これは漫画にしなきゃ」と思ったそうだ。佐々木自身も自分が漫画の主人公になるとは想像だにしなかったに違いなく、きっといまごろは草葉の陰でほくそ笑んでいることだろう。
 佐々木の主な業績といえば、東京バレエ団を創立し、海外公演を積極的に行ったこと。海外から世界一流の歌劇場やバレエ団を招聘したこと。モーリス・ベジャールに「忠臣蔵」を題材にした「ザ・カブキ」を創らせたこと。そして、WBFを始めたことなどが挙げられるが、佐々木がやった仕事を日本のバレエやオペラの歴史から消し去ったら、いささか寂しいものになるのではないか。「ガラ」や「引っ越し公演」「インプレサリオ」という言葉も、佐々木が広めたといっていいだろう。ちなみに、「バレエで世界に挑んだ男」の最初の5話分は日本語のほか英語と中国語でもWEB上で無料配信することになっている。生前、佐々木は敵が多く毀誉褒貶が激しかったが、これまで佐々木の海外での評価と国内での評価に大きな乖離を感じてきた。佐々木が死去して2年、遺した業績だけで客観的に評価されるべき時がきているのかもしれない。
 いまでこそ、WBFのように大規模ではないものの世界中で同種の催しは珍しくなくなっている。42年間も続いているWBFは、日本が世界に誇れる文化資源の一つになっているのではないかと思う。バレエの分野においてもアジアの近隣諸国の台頭がめざましいが、日本がアジアにおけるバレエ先進国であることを誇示するためにも、ぜひ観客の皆さまのご支援いただきながら、佐々木が創った「世界バレエフェスティバル」の「栄光」と「伝統」を守り継いでいかなければならないと、15回目の節目にあたって決意を新たにしている。


■佐々木忠次の生涯が漫画になった『バレエで世界に挑んだ男』
https://nbs-foundation.jp/contents/comic.html