新『起承転々』〜漂流篇VOL.21 「献身」と「犠牲」

「献身」と「犠牲」

 去る10月23日に「第30回高松宮殿下記念世界文化賞」の授賞式があった。ご承知のかたも多いと思うが、今年の音楽部門は指揮者のリッカルド・ムーティが受賞した。授賞式は格式を重んじてかドレスコードがブラック・タイなので、私も不似合いなタキシードに身を包んで出席した。じつは私はこれまでも何度か「世界文化賞」の授賞式に出席したことがある。会場には第30回を記念して、過去の受賞者の写真展示があったが、1993年モーリス・ベジャール、2003年クラウディオ・アバド、2007年ダニエル・バレンボイム、2008年ズービン・メータ、2015年シルヴィ・ギエム、そして昨年受賞したミハイル・バリシニコフなどはNBSが何度も一緒に仕事をしているアーティストたちだ。このレベルのアーティストになると、芸術面はもちろんのこと、人間的にも素晴らしい。私がこの偉大な人たちの爪の垢をもらって煎じて飲んでいたなら、もう少しましな人間になれていたかもしれない。
 私が初めてムーティに会ったのは、1988年のミラノ・スカラ座の引越し公演のときだった。そのときムーティは47歳、ミラノ・スカラ座の芸術監督に就任して2年目。あたりを払うような近寄りがたさがあったが、精悍で惚れ惚れするくらいカッコよかった。それからNBSとしては、ミラノ・スカラ座とともに4回、スカラ・フィルとともに4回。ウィーン国立歌劇場とともに2回。2014年にはローマ歌劇場とともに、2016年にはシカゴ交響楽団とともに招聘している。来日を重ねることで、次第に親密な関係を築くことができたが、まっさきに思い出すのは、ローマ歌劇場の引越し公演のときのことだ。そもそも2014年のローマ歌劇場日本公演は、ムーティのほうから日本公演をやりたいという申し出から始まった。2006年にローマ歌劇場をポピュラー系の音楽事務所が招聘したとき、度重なるキャスト変更からマスコミを賑わすほどのスキャンダルになった。ローマ歌劇場というと依然そのときのイメージが残っていて、いくらムーティの指揮だからといってチケットは売りにくいだろうと躊躇していたのだ。そのうえオーケストラのユニオンが強く、日本公演を政争の具にしようとする動きがあった。日本公演を本当にやるかどうか、不安を抱えたままムーティに会いにローマに飛んだ。マエストロはたった一言「心配するな、オーケストラが行かなくても、自分一人でも日本に行く」とおっしゃる。むろん、オーケストラなしの引越し公演はあり得ないが、マエストロがそう言うなら、やるほかないと腹をくくった。そのときのローマ歌劇場日本公演の『ナブッコ』と『シモン・ボッカネグラ』は、稀にみる成功を収めた。日本公演の後、再びオーケストラのユニオンが問題を起こし、結局、ムーティは音楽監督(終身名誉指揮者の称号はそのまま残っている)の座を降りてしまった。NBSがシカゴ交響楽団の日本公演を手がけるようになったのも、音楽監督をつとめるムーティが日本公演をやるならNBSとだ、と指名してくれたからだ。トラブル続きのローマ歌劇場の日本公演をなんとか成功裡に終えたことで、それまで以上にマエストロから信頼されるようになったのは、ありがたく光栄にも感じている。
 授賞式の前、産経新聞の「話の肖像画」で10月15日から19日まで5回にわたってムーティの記事が連載されていた。竹中文記者の質問にマエストロが答えているのだが、なるほど、と頷きながら読んだ。若手指揮者に対しては、「単にテンポを刻むことと教養を基にオーケストラを導いていくことはまるで違います。100人以上の人々に自分の解釈を納得させることで、演奏は成り立つのです。人々を説得するには知識やカリスマ性、魅力が身についていなければならない」という。芸術を極めることと人間性を高めることは表裏一体なのだ。マエストロは記事の中で、「もしも何らかの理由でヨーロッパを去ることになったら、日本に住みたいですね」とも語っている。昨年マエストロは旭日重光章を受章し、先ごろ「世界文化賞」を受賞した。来年1月末から2月初旬にかけてはシカゴ交響楽団を率いて来日し、3月から4月にかけては東京・春・音楽祭が主催する「イタリア・オペラ・アカデミーin東京」のために来日する。きっと日本の若手音楽家育成にとって大きな貢献となるだろう。マエストロと日本は相思相愛の関係と言っていいのではないか。
 1988年以来、今回の「世界文化賞」の受賞に至るまで、30年にわたって定点観測的ではあるが一人の偉大な芸術家の進化と成熟の過程を身近に感じてこられたのは、私にとって貴重な経験というほかない。今年77歳になるマエストロは、いまや融通無碍で冗談好きで好々爺然としている。「あなたの音楽人生を一言で表すと?」という竹中記者の質問に対し、マエストロは「一言では難しいですね。少なくても二言は必要です。『献身』と『犠牲』。そして、それを払う価値があったことは確かです」と答えている。「献身」と「犠牲」という言葉が、マエストロの口から出るとは意外だったが、ふつうの人が得られない経験を積み重ねてきたからこそ出た本心からの言葉なのだろう。芸術性を高めていく過程で人格が磨かれるのだ。マエストロとは到底比べるべくもないが、私の人生にはまだまだ「献身」と「犠牲」が足りないことを、あらためて思い知った。