新『起承転々』〜漂流篇VOL.30 ジャパン・アズ・ナンバーワン

ジャパン・アズ・ナンバーワン

 連日猛暑が続き、身体のどこかに変調をきたしているのか、仕事に身が入らない。ぼっとしながら夕刊各紙をめくっていたら、「平成ニッポンは『経済敗戦』」という大見出しが目に飛び込んできた。毎日新聞夕刊(2019年8月6日)の「特集ワイド」で「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長のインタビュー記事だ。平成の30年間で日本の経済競争力は衰え、今年の5月にスイスの有力ビジネススクールIMDが発表した国際競争力ランキングでは30位に落ち込んでいるという。かつて日本は1989年から1992年までの4年連続で1位だったが、各国が成長する中、日本の地盤沈下が際立っているという。もはや経済大国の座すら危ないのだ。記事から柳井氏の刺激的な言葉を拾うと、「バブルが崩壊してから日本だけが成長しない。日本は『経済敗戦』だと思っている」。さらに「グローバル化、デジタル化に縁がなく、内に閉じこもっている。日本は現状維持をやりすぎた」。「海外企業は日本を飛び越えて他のアジア諸国に進出する。成長市場で商売をやるのがビジネスだから」といった言葉が並び、将来不安から暗澹たる気分になった。
 世界的な経営者の柳井氏とは比べるのもおこがましいが、私も弱小NBSの経営に携わるものとして、舞台芸術の世界を通して見ても日本が衰退の一途をたどっていることを肌で感じてきた。1980年代、アメリカの社会学者エズラ・ヴォーゲルが書いた日本礼賛の本「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が一世を風靡した。日本人の勤勉な学習意欲や優秀な官僚主導が日本の国際競争力を高めたという内容だ。いったい日本はどこで間違ってしまったのか。近年、アジアの近隣諸国の台頭が著しいが、われわれの舞台芸術の世界においても、日本の国際競争力が落ちているのは歴然だ。海外の芸術団体は一般企業と同様、すでに日本を飛び越えて他のアジア諸国に進出し始めている。
 オペラの引っ越し公演は、長い間ほとんど日本の専売特許だったといっていい。NBSは前身の制作会社だった時代から、オペラの引っ越し公演を手掛けているが、1987年以降は〈オペラ・フェスティバル〉と題し、オペラの引っ越し公演を継続的に行ってきた。〈オペラ・フェスティバル〉の第1回目の演目が1987年のベルリン・ドイツ・オペラによる『ニーベルングの指環』(全曲)日本初演で、それが“バブル景気”とあいまって、“オペラ・ブーム”の引き金になった。今回が〈オペラ・フェスティバル〉シリーズの10回目になるが、ほぼ平成という時代とともに歩んできたことになる。平成の30年間で日本の経済力が落ちてきたのと同様、芸術文化に対する国民の熱量も少しずつ減じてきているように感じる。来年はオリンピック・イヤーだが、2020年とそのあとの2021年は、日本の芸術文化にとっても大きな転換期になると思っているのは、私ばかりではないだろう。オリンピックは「スポーツの祭典」であるとともに、オリンピック憲章にもうたわれているとおり「文化の祭典」でもある。2013年に東京でのオリンピックの開催が決定するや、オペラの代名詞はやはりスカラ座だと思い、2020年の「文化の祭典」の一翼を担うべく日本公演実現に向けてスカラ座と交渉を開始した。翌2021年にはオリンピックの後遺症で、引っ越し公演が顧みられなくなることを怖れ、高い人気を誇るウィーン国立歌劇場を招聘することにした。現状維持では衰退するだけだ。これまでの〈オペラ・フェスティバル〉は最長4年、最短でも3年だったが、少しずつ高齢化している観客のニーズに合わせて、今回は思い切って2年にした。演目はスカラ座が音楽監督リッカルド・シャイー指揮の『トスカ』とズービン・メータ指揮『椿姫』、ウィーン国立歌劇場が音楽監督フィリップ・ジョルダン指揮の『ばらの騎士』とリッカルド・ムーティ指揮『コジ・ファン・トゥッテ』の“テッパン”の4本。現地のミラノやウィーンにおいても、なかなかこの内容の公演にめぐり合えないだろう。日本に居ながらにして、これ以上のオペラ体験は望めまい。今回の〈オペラ・フェスティバル〉は、いわば究極の4演目セット券だ。2022年以降もオペラ引っ越し公演を継続して実現していくために、二大歌劇場限定の今回の〈オペラ・フェスティバル〉によって、新しいオペラ・ファンを開拓しなければならないと思っている。乾坤一擲、オペラ引っ越し公演の起死回生をかけたとっておきの切札だ。
 戦後74年、海外の多くの芸術団体が日本を訪れているが、この分野では日本が世界の先進国であったことは間違いない。欧米の代表的な芸術団体は、公的機関だから時代に合わせて次々に手を打っているが、日本は民間主導で財政基盤が脆弱だから世界の情勢に追いつけず、どんどん取り残されているように感じる。民間でできることは最大限やってきたという自負はあるものの、これ以上のことは国家レベルで対策を講じなければ解決できないということも感じている。経済と文化は車の両輪といわれるが、平成の時代は経済だけではなく、文化のうえでも敗戦だったといえるかもしれない。今年、平成が終わり令和が始まったが、2020-2021年はまさに日本が変わらなければならない崖っぷちのタイミングなのではないだろうか。あの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代よ、もう一度!