新『起承転々』〜漂流篇VOL.31 若き血

若き血

 いま英国ロイヤル・オペラ日本公演の真っ只中だ。連日、公演の現場対応に追われながらも、オペラの引っ越し公演という“巨象”をいかに生き延びさせるかということばかり考えている。つくづくオペラの引っ越し公演は民間ではなく公共機関がやる事業だと思う。リスクが多すぎる。引っ越し公演といえども興行だから、チケットが売れなければ成立しない。入場料収入だけで採算をとるのは実質上不可能だから、いかに企業スポンサーや寄付者のご支援を得られるかにかかっている。次に制作コストをいかに削減するかだが、これも長年培ったノウハウをもとに奮闘努力はしていても、航空運賃や輸送費、宿泊費の高騰や為替の変動など不確定要素に左右される部分が大きい。去る9月9日の未明に襲った台風のような自然災害のリスクもある。甚大な被害を受けられた方々には心からお見舞い申し上げたい。次の朝には台風の影響で電車が動かず、通勤の足にも大きな影響が出た。公演の時間帯に台風が直撃したらと思うとゾッとする。一昔前は「火が降っても槍が降っても」公演中止はないと強気だったが、昨今は交通機関の計画運休などがある。それだけチケットの払い戻しのリスクも高まっている。
 少し長いスパンで見ると、一番の問題は年々観客の高齢化が進んでいるのと、若い世代の観客が育っていないことだ。“巨象”を生き延びさせるには、若い血が必要なのだ。
 9月6日に英国ロイヤル・オペラ日本公演の開幕記者会見を開いたが、その最後に私は出席した音楽ジャーナリストたちに向けて「若い音楽ファン、オペラ・ファンを増やさなければならないということは、共通の課題ではないか」と呼びかけた。マスコミの力を借りて若い観客育成の気運を盛り上げたいと思ってのことだった。今回、ロイヤル・オペラのアレックス・ベアード総裁と話をした中で、ロイヤル・オペラは若い層の観客が増えていると聞いた。ロイヤル・オペラはいろいろな取り組みをしているが、30歳以下の約2000円相当でオペラを観ていた世代が、30歳を過ぎてもそのまま通常の入場料を払って劇場に来るようになっているという。どこの劇場でも若い観客層を取り込もうと必死だが、ロイヤル・オペラは見事に成功しているのだ。たしかにロイヤル・オペラハウスは私が外から見ていても、ほかのオペラハウスよりも一企業としてうまく経営されているように思える。私はこのコラムで若い観客を育てなければならないと連呼してきた。ロイヤル・オペラのような成功例を知れば、真似できるところはどんどん真似て、いままで以上に若い観客を育てることに力を入れなくては、日本の劇場芸術に未来はないと断言できる。
「NIKKEI STYLE」が去る9月6日に指揮者のアントニオ・パッパーノにインタビューし、その記事が12日の電子版に載った。私の呼びかけに記者が応えてくれたのかもしれないが、「日本でもオペラ・ファンの高齢化と若者のオペラ離れがいわれているが、オペラ文化の将来をどうみているか」と質問している。それに対しパッパーノは「より若い人たちに見に来てほしいのはオペラ界共通の課題。手ごろな座席を設けるなど、どこも必死に対策を打っている。ただ、焦りすぎているのかもしれない。人がオペラを見ようと思うのは、少し年齢を重ねてからのことが多いのではないか。仕事や子育てが一段落して、心に余裕ができたときではないか。ただ、そう思ってもらうためには子どもの時分から何らかの形でクラシック音楽に触れる機会を作ることが重要で、政府にも理解と支援を絶えず求めている。音楽が脳の発達に大きな影響を及ぼし、創造的な人間を育てるのに欠かせないのは揺るぎない事実だ。辛抱強く、若い人たちが音楽とかかわる機会を作っていくことしかない」と答えている。これもロイヤル・オペラハウスのような立派な劇場をもっている組織だからできることであって、劇場をもたないわれわれができることは限られているように思う。財政基盤が脆弱な民間では悠長なことは言っていられない。私自身焦っている。NBSはバレエにおいては、〈上野の森バレエホリデイ〉や〈めぐろバレエ祭り〉で、子どもたちに向けたバレエ・イヴェントを行っていて、少しずつでも前進していると感じている。じつは11月には横浜市からの依頼で市内の関内ホールにおいて、東京バレエ団の子どものためのバレエ「ドン・キホーテの夢」を6回公演することになっている。初めてバレエを市内の小学4年生を対象に無料で観せることになる。自治体が無料で子どもたちにバレエを見せることは画期的なことで、横浜市の英断に感謝したい。地道にこうした機会を増やすことが次の世代の観客を増やすことにつながることは間違いない。
 NBSは来年9月にミラノ・スカラ座の引っ越し公演を予定しているが、あわせてスカラ座による子ども向けのオペラもやりたいと思っている。入場料を安く抑えなければならないからスポンサーも必要だ。将来の日本を支える創造的な人間を育てるために、官民をあげ、マスコミも一体となって取り組まなければならない。ともかく一歩前に踏み出さなければ何も変わらない。