新『起承転々』〜漂流篇VOL.34 因縁の「くるみ」

因縁の「くるみ」

 今年もはや師走。馬齢を重ねるにしたがい、1年が経つのが加速度的に速くなっているのを感じる。バレエの世界でこの時期の風物詩といえば、クリスマスが舞台になっている「くるみ割り人形」だ。ご多分にもれず東京バレエ団も「くるみ」を上演するのだが、今回の「くるみ」は東京バレエ団史上、特別な位置づけになる。東京バレエ団は今年が創立55年目にあたるが、東京バレエ団の母体であるチャイコフスキー記念東京バレエ学校が開校した1960年から数えると、来年でちょうど60周年だ。じつは同校にとって「くるみ」は重要な作品で、開校2年目に初めて公演したのが「くるみ」だったのだ。そのときはなんと同校とボリショイ・バレエのソリストたちとの合同による、今で言うところの“ガラ公演”だった。今回の「くるみ」公演の時期に合わせて、斎藤慶子著の「『バレエ大国』日本の夜明け』というタイトルの本が文藝春秋から出版される。同校は冷戦構造下、米ソ中の対立に翻弄され経営的に行き詰って、わずか4年しか続かなかったが、日本のバレエ教育を「お稽古事」から「プロフェッショナルの養成」へと向かわせる、歴史的な役割を果たしたと言っていい。その顛末が膨大な資料と丹念な調査、当時の生徒たちの証言によって詳しく記されている。
 今回、東京バレエ団の芸術監督斎藤友佳理が、「くるみ割り人形」の新制作に挑むが、斎藤にとって、この作品は母・木村公香が同校で初めて踊った作品であり、斎藤自身、公演中に転倒し再起不能を宣告されるほどの大怪我を負った因縁の作品なのだ。斎藤は執念で再起を果たしたが、この作品は学校の時代から58年、多くの先輩たちの汗と涙がしみ込んだ襷(たすき)のように受け継がれてきた。国内のみならず海外でも76回上演している。
 1961年に学校が上演したのはワシリー・ワイノーネンの演出・振付版だった。1964年には閉校のやむなきに至ったが、その人的財産を受け継いで、佐々木忠次が学校からバレエ団に組織を変えることで東京バレエ団を創設した。東京バレエ団になって、1972年に「くるみ」を上演したが、そのときはワイノーネン版を下敷きに、当時の芸術監督が手を加えたものだった。その後、1979年に東京バレエ団の指導体制が変わると、再びチラシやプログラムのクレジットが「ワシリー・ワイノーネン版による」になったが、ワイノーネン版と呼ぶにはほど遠いものになっていた。今と違って著作権の意識があまりなかった時代のことである。時代は移り、著作権の意識が世界中で高まってくると、このクレジット問題を放っておくわけにはいかなくなってきた。東京バレエ団の創立55周年事業に関し、海外公演を目前に控えた6月に記者会見を開いた際、斎藤は今後自分の後継者がこの問題に苦労しなくていいように、55周年を機に「くるみ」のクレジット問題に決着をつけたいと語った。
 斎藤は自分の芸術監督任期中に、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」のチャイコフスキーの三大バレエをすべて新制作することを自身の目標にしている。そして、2016年2月にはブルメイステル版「白鳥の湖」を成功裏に初演し、このたび「くるみ」に挑むことになった。じつに37年ぶりに新制作することになる。昨年の11月に私が、「くるみ」を新制作するなら、来年の12月しかないと言い出したことから、斎藤と彼女の夫君のニコライ・フョードロフ氏の悪戦苦闘が始まった。舞台装置と衣裳をロシアのデザイナー、ロシアの工房でつくることにしたからだ。斎藤とフョードロフ氏は実質1年弱の期間でゼロからつくることは、無謀なことだと言いながらも承諾してくれた。さすがに鈍感な私でも二人から恨みを買っていることに気がついていたが、「後悔先に立たず」だ。製作期間が短いあまり、舞台装置も衣裳も一つの工房でつくることが難しく、総数200着におよぶ衣裳はモスクワとサンクトペテルブルクの計6つの工房で分業した。フョードロフ氏がこれまでの長いキャリアを活かして奔走してくれたからこそ実現できたことで、いくら感謝しても感謝しきれない。モスクワにいたフョードロフ氏から舞台装置が完成したとの知らせにホッとしたのも束の間、輸送がこれまた厄介だった。シベリア鉄道でウラジオストクまで貨車で運び、ウラジオストクから横浜まで船で運ぶ。途中で列車が大雪で立ち往生して、まったく動かなくなった。ようやく動き出しても1日かかっても何キロしか進んでいないと、フョードロフ氏から聞かされるたびに、はたして本番に間に合うのかと不安が募った。
 この拙稿を書いている段階ですら、まだ舞台装置が本番に支障なく届くかどうかも確認が取れていない状況だ。斎藤もフョードロフ氏も執念の人である。「思う念力岩をも通す」のことわざ通り、これまでもさまざまな困難を突破してきたが、こんどばかりは運を天に任せるほかなく、なんとか新しい舞台装置が間に合うように、ロシアの方角にむけて念力を送っている。母親の代から58年にわたって脈々と魂が受け継がれてきた運命の「くるみ」が、斎藤の手によって面目を一新する。55周年という節目に、東京バレエ団の歴史に新たな光が差し込むことを信じている。