新『起承転々』〜漂流篇VOL.35 心の教育

心の教育

 新年の最初くらいは明るい話題をお届けしたいと思い、身の周りに何かないかと思いをめぐらせた。明るい未来を感じさせるものということでいえば、一番印象に残っているのが、11月19日から21日に横浜・関内ホールで6回上演した東京バレエ団の子どものためのバレエ「ドン・キホーテの夢」だ。横浜市の教育委員会が市内の小学校4年生約6,000人に無料で観劇させたのだが、子どもたちの純真無垢な反応に心が洗われる思いがした。後日、教育委員会の人から子どもたちに実施したアンケート結果を見せてもらった。「心がバレエのことで一杯になりました」「心が踊っているように感動しました」「もう一度見に行きたいです。笑顔をつくって元気よくすれば、周りも元気になるんだと思いました」「心がふゎぁ~と豊かになって、やさしい気分になりました」「今までで一番感動しました(泣いちゃった!)」等々、多くの子どもたちが感動という言葉を使っていた。きっと生涯記憶に残る体験になったに違いない。関内ホールまで足を運び、非日常的な空間に身を置くという体験が、将来、劇場に通う習慣につながるに違いないと思えた。こういう企画こそ、横浜市だけではなく全国の自治体が取り組まなければならない「心の教育」ではないか。こうした活動を続けていけば、子どもたちの心の幅が広がり、情操が豊かになるに違いないと確信した。この観劇をきっかけにバレエを好きになった子はいても、嫌いになった子は一人もいないはずだ。そう思わせるほど、子どもたちはみな楽しそうに、身を乗り出して観ていたのだ。この成果を受け、来年度は横浜市の教育委員会から市内の小学生18,000人に見せたいとの話をいただいたのは嬉しいかぎりだ。
 公益社団法人日本オーケストラ連盟が発表している2018年度「子どものためのオーケストラ検証プロジェクト」の報告書によれば、オーケストラが奏でる音楽を浴びると、73パーセントの子どもたちが「自分の中で何かが変わった」と感じたという。また、74パーセントの子どもたちが、「元気に、前向きになることや、人との関係をより円滑に結べるようになること、新たな関心を持つこと、さらには何かに挑戦したくなる」など、情操面でポジティブな変化を感じているという。この結果を見ても、子どものうちに舞台芸術にふれさせることが、いかに重要かがわかる。
 どうやら人類が前代未聞の革命に直面しているらしいということは、私の旧式のポンコツ頭でも感じている。電車に乗れば、多くの人がスマートフォンに目が釘付けになっているし、スマホを見ながらゾンビのように歩き回っている人も多い。人間が文明の利器を使うのではなく、逆にキカイに支配されているようにしか見えないのだ。AI(人工知能)が加速度的に進化していくと、いま人間がやっている仕事の大半がキカイにとって代わられてしまうだろう。ユヴァル・ノア・ハラリ著の最新刊「21 Lessons」(河出書房新社)で、教育についても1章を割いている。要約すると、今日、子どもたちが学ぶことの多くは、2050年までに時代遅れになっている可能性が高いという。学校では教師が情報を詰め込むことを重点に置いているが、すでに膨大な量の情報にさらされているから、教師がさらに生徒に情報を与えること自体あまり意味がなくなってしまうだろう。大人は子どもたちに何を教えるべきなのか。多くの教育の専門家は、学校は方針を転換し、「四つのC」、すなわち「Critical thinking(批判的思考)」「Communication(コミュニケーション)」「Collaboration(協働)」「Creativity(創造性)」を教えるべきだと主張している。絶えず学習して自己改造する能力が必要とされる。これからの世界で生き延びるには、精神的な柔軟性と情緒的なバランスが必要なのだという。「四つのC」を養うためにも子どもたちへの「心の教育」が重要度を増しているのだ。
 AIによって人類の未来は明るいのか暗いのか分からない。子どもは将来の大人だが、日本の未来はいまの子どもたちにかかっている。キカイはどんどん進化していくだろうが、その進化に人間の心は追いついていけるのだろうか。キカイにできないことを突き詰めていくと、最後に残るのは芸術だろうと言われている。子どもたちの豊かな創造性と感性を育む活動こそ、もっと大切にされなければならないことは明らかだ。キカイ万能のこれからの時代は、人間らしさの追求が大きなテーマになるのではないか。
 NBSの2020年オリンピック・イヤーは、例年にも増してパリ・オペラ座バレエ団や東京バレエ団とベジャール・バレエ団の合同によるベジャール振付の「第九」、ミラノ・スカラ座の引っ越し公演など大型企画を予定しているが、それとは別に子ども向けのバレエやオペラといった子どもたちの情操を養い、次世代の観客を育成する活動を強化しなければならないと痛感している。
 新年にあたり、舞台芸術の振興を使命とする公益財団法人としてのNBSが、今後、果たすべき社会的役割を思うと、あらためて身が引き締まる思いがする。