特別寄稿 新型コロナが問いかけるもの

瞬く間に世界を覆った新型コロナウイルス。全業種が打撃を被る中でも、集客によって成り立つ興行界は、壊滅の危機にさらされている。感染拡大の「瀬戸際」が告知されてから約2カ月、ウイルスが図らずもあぶり出した舞台芸術の諸問題を、ここで整理してみよう。
以下は、新聞社で舞踊・音楽を担当する記者としての見聞と、関係企業・団体に寄せられた芸術家らの生の声である。なお、この稿がお手元に届く頃には、情報がかなり古びているであろうことを、予めお許し願いたい。

やり玉に挙げられた「文化イベント」

 2月24日、感染症対策専門家会議が「ここ1、2週間が瀬戸際」と、市民の行動に警鐘を鳴らした。この時点で国内の集団感染例は、屋形船での新年会のみ。避けるべきはまず「宴会」と素人にも察せられたし、事実、専門家は「夜の繁華街」を想定していたらしい。しかし26日、安倍晋三首相が自粛を要請したのは「大規模なスポーツ・文化イベント」だった。
 感染者を出していない競技場や劇場が、なぜイの一番にやり玉に挙げられたのだろう。宴会を含む「飲食」は生命維持に欠かせないから、まずは不要不急の「文化」を……という短絡思考だったのか。その眼中に、イベントを生業としている芸術家や興行主の存在はない。
「国の対策をみると、音楽家という職業が職業として認められていないと感じる。仕事として認めないなら税金も徴収しないでほしい」(日本音楽家ユニオンが3月中旬に実施したアンケートへの回答より)
 もとより我が国の文化予算の比率は、約0.1%。有数の文化「小国」として名高い。有事に際しても、その姿勢は一貫しているのである。

ライブハウスと興行場の混同

 不運なことに自粛要請の直後から、ライブハウスでの感染が相次いで確認された。
 ライブハウスの業態は、大半が「飲食店」。一方、劇場やコンサートホールは「興行場」であり、条例下で厳しい換気基準を満たしている。「密集」はともかく、「密閉・密接」には当たらないはずだ。もちろんライブハウスとて全店が「3密」ではないのだが、「歌舞音曲の場は総じて温床」という偏見が、みるみるはびこった。未知のウイルスへの社会不安が、スケープゴートを求めた観がある。「とりあえず自粛を」という同調圧力が、民間でも高まっていった。

興行主と観客の「自己責任」

 自粛はあくまでも「要請」であり、興行主は開催か中止かを、自己責任で決断しなければならない。キャンセルは赤字や破産を意味する。といって強行すれば、世間の非難を招くばかりか、万一会場で集団感染が起きた場合に取り返しがつかない。進むも地獄、退くも地獄、が本音だろう。
「(自粛要請は)『感染リスクを企業側が作っている、無責任だ』といった批判がこちら側に来る仕組みになっており、それを避けるために、強制的に閉めなければならない状況です。(中略)人間も文化も殺す気ですか、と言いたい」(コンサルティング会社ケイスリーが4月上旬に実施したアンケートへの回答より)
 興行主が開催に踏み切れば、今度は観客が「行くべきか行かざるべきか」の選択を迫られる。劇場で何らかの病を「もらう」可能性は常にあるが、新型コロナの場合、症状なき感染者として自ら周囲に「ばらまく」恐れが足かせとなった。
 私自身は、NBSが主催したパリ・オペラ座バレエ団の来日公演「ジゼル」(2月27日~3月1日)と「オネーギン」(3月5~8日)、新国立劇場バレエ団の「マノン」(2月26日までで打ち切り)など、可能な限り足を運んだ。主催者はチケットの払い戻しにも応じていたが、客席を埋めることがファンにできる唯一の支持表明と考えたからだ。公演活動が途絶えれば、舞台芸術そのものの灯が消えてしまう。周囲の観客も決意に満ちた表情で、手洗いやアルコール消毒を励行していた。この時点で何が正解だったのか確信はもてないが、興行主と観客が厳しい決断を強いられた事実を忘れることは、決してないだろう。

補償なき休業

 事実上の名指しにより、いち早く閉鎖された劇場。日本クラシック音楽事業協会のまとめによると、3月16日現在で「公演中止・延期は約740件、損害総額は24億円超」に上った。しかし政府は28日、これらの陳情に「税金での補償は難しい」と回答。中止は命令ではなく、建前上は興行主の自由意思によるからだ。
 4月に入るとようやく、避けるべき場所として「夜の繁華街」が明示されるようになった。バーやクラブの経営者も、損失補てんを求め始めている。休業補償は今後、政策の焦点になるだろう。全業種にまたがる問題とはいえ、興行界は緊急事態宣言(7日)の6週間も前から自粛を迫られていた経緯を、忘れないでほしい。
「俺はウイルスに感染していない。でも自分の会社、アーティストの人生が終わる可能性が出る状態まで追い込まれた。(中略)だから政府も本気で対応して下さい。感染を止めて下さい。そして感染せずとも何かを失った人がいるという事を分かって下さい」(3月1日のライブを中止し、約1000万円の損害をかぶったバンドNon Stop Rabbit〈ノンストップラビット〉の田口達也。個人名のツイッターより)

芸術家の立ち位置

 未曾有の災厄の中、文化大国としての株を上げているのがドイツだ。モニカ・グリュッタース文化相が無所属の芸術家に「文化は平時のみのぜいたく品ではない。あなた方を決して見捨てはしません」と呼び掛けたのは3月11日。彼らを含む中小事業主への緊急支援予算として、最大500億ユーロ(6兆円)が計上された。
 彼我の差に愕然とさせられるが、そもそも芸術および芸術家の位置づけに天と地ほどの格差がある。ドイツは州や市ごとに公立の歌劇場を有し、団員は公務員。翻ってわが国の楽団やバレエ団は、多くが公益財団法人だ。内部留保に規制があり、有事に備える体力がない。
 これらに所属しない演奏家やダンサーの立場は、さらに不安定だ。公演準備にどれほどの労力を費やそうとも、本番がなければ報酬も水の泡。音楽教室・バレエスクールが軒並み閉鎖された現状では、講師としての収入も見込めない。コロナ禍は真の国力を、残酷なまでに露呈させてしまった。日本は名実ともに文化「貧国」のままで本当にいいのか。国民一人一人に問いが突き付けられている。
「外出の自粛を求められる中、音楽、映画、美術その他の芸術がなければ、家で過ごす時間はどれだけ貧しいものになるか考えてみていただきたい。芸術、芸能は心のビタミンのようなもの。軽んじると世界はますます灰色になっていきます。経済のことと同様の支援をお願いします」(ケイスリーのアンケートへの回答より)

「ライブ」の危機

 コロナ禍の初期には無観客での上演をネットで配信する手が使えたが、感染が拡大した今は、出演者が顔をそろえてのリハーサルすら困難な状況だ。生身の体の濃厚接触あっての舞台芸術が、根底から揺さぶられている。芸術家はおのおの自宅で鍛錬を続けているが、たった一人で心身の状態を保つのは、どんな名手にも至難の業に違いない。
「ダンサーの身体は稽古の継続によって作られる。一日一日が勝負なのに、活動を止めなければなりません。たとえコロナの雲が晴れても団員と団のコンディションは、すぐには戻らないでしょう」(バレエ団関係者の述懐)
「今、ここ」のライブ感こそが舞台芸術の醍醐味であり、劇場は観客にとっても、他者の「生」に触れる掛け替えのない装置だ。私の中にはシルヴィ・ギエムのシシィや齋藤友佳理のタチヤーナが今も確かに息づいていて、平凡な人格に色を添えてくれている。芸術なくして豊かな人生はない。
 あるダンサーは「表現のあり方が問われている。バレエの振付やパ・ド・ドゥの距離感なども変わってくるのでは」と語った。より強靱な形態へと、脱皮させられるか。コロナとの根比べに、官民を挙げて取り組むべき時だ。