新『起承転々』〜漂流篇VOL.39 どこまで続くぬかるみぞ

どこまで続くぬかるみぞ

 人生も第4コーナーを回ってから、こんな障害が立ちはだかっているとは思いもしなかった。これまでもいくつかの障害をどうにか乗り越えてきたが、今回の新型コロナ禍は第2次世界大戦以来といわれる試練だ。マスコミの報道は朝から晩まで新型コロナ一色で、日に日に不安が増大している。一説によると、今後も18か月ほど行動制限を続ける必要があるという。
 私にはこのコロナ禍は急激なグローバル化、異常なまでのグローバル競争に対する神の啓示ではないかと思えてしかたない。ここ20年ほどの我々の生活の激変ぶりは異常だった。ITやAIがもてはやされ、市場主義や効率主義、過剰な情報文化は、人々の思考能力や常識を奪ってしまった。誰もが余裕やゆとりを失ってしまっていたように思える。どんどんスピードを上げて回転していた時計の針が、このコロナ・ショックにより急停止し、逆戻りを始めたように感じる。今回の大災厄によって、人間は無力であり、傲慢な動物だったことを思い知らされたような気がする。繁華街から喧騒が消え、在宅のテレワークによって、子どもや家族とゆっくり過ごす時間がもてるようになり、学校や塾が休校になって、公園で遊ぶ子どもたちも目につくようになった。グローバリズムにブレーキがかかり、人々の行き来が制限され、国や地域社会の結束が強まって、お互いに助け合うようになる。このコロナ・ショックが、忘れていた人間らしさを取り戻すきっかけになることを願うばかりだ。
「文化芸術 鈍い政府の支援策」と見出しのついた新聞記事を見つけた(4月15日付朝日新聞朝刊)。イベントの損失補償に関し「政府は税金で補償は難しいとしており、文化庁幹部も『他業界も大変で、全て補償となるとお金がいくらあっても足りない』と打ちあける」とあって唖然とした。思わず「嘘だろう?」と呟いた。どういう経緯でこの発言に至ったのか知らないが、文化庁は我々の業界を守るために政府と折衝する立場のはずだ。足元の状況が切迫しているのに、文化庁が他の業界のことを忖度する必要はないだろう。同じ記事でドイツの対応も紹介されていて、「ドイツでは文化メディア担当相がテレビなどに頻繁に出演し、『文化は良い時代にだけ営まれるぜいたくではない』『アーティストは不可欠な存在だ』などと述べ」、彼らを含む中小事業主への緊急支援予算として、約6兆円が計上されたようだ。ドイツだけではない。主要な国々は芸術文化を守るため、すばやく対応している。人間は非常事態に直面すると本性を現すというが、わが国の芸術文化に対する姿勢は「文化芸術立国」を標榜しながらも、この非常事態において本性が現れたように思う。
 このコロナ禍の出口は見えないが、長いトンネルを抜けるころには、いまとはまったく違う世界になっているだろう。これまでしきりと働き方改革が叫ばれていたが、今回のテレワークの経験を経て大きく変わるだろうし、東京一極集中も緩和されるかもしれない。優勝劣敗が明確になり、さまざまな業種で淘汰が始まるだろう。産業構造に変革が起こり社会システムも変わるに違いない。人間第一で、経済よりも生活や文化の重要性が顧みられるようになるのではないか。社会生活が回復していく段階で、人々に希望や勇気を与える芸術文化の果たす役割が大きくなるのは間違いない。
 私はこのコラムで、NBSがやっている活動は国や自治体などの公共機関がやるべき種類のものではないかと何度か訴えてきた。オペラの引っ越し公演にしても、海外バレエ団の招聘公演にしても事業規模が大きいだけに、今回のように公演が中止や延期になるという事態が発生すると、たちまち経営が危うくなる。私はNBSの創立者の佐々木忠次から後事を託されて以来、「佐々木商店」からの脱皮を図り、NBSを公益財団の名に恥じない社会的責任をもった組織にしなければと、少しずつ改善に改善を積み上げてきたつもりだ。それが今度のコロナ禍によって音をたてて崩れ落ちていくのを目の当たりにしているような気がしている。こんなにも脆かったのか、という思いだ。今あらためてどんな事変にも耐えられ、舞台芸術の灯を絶やすことのない経営基盤を築かなければならないと痛切に感じている。
 4月末の〈上野の森バレエホリデイ〉、5月のモーリス・ベジャール・バレエ団は中止に追い込まれたが、その後に予定している公演も次々に中止や延期を余儀なくされるのではないかと、日々不安にかられている。東京バレエ団もバレエ学校も休業状態が続く。「いつまで続くぬかるみぞ」とぼやきたくなるが、それでもNBSはなんとしても生き延びなければならない。公演中止の損失補償はしないと、政府から見放されている今、自力でこのぬかるみを脱するほかない。金策に奔走し、窮余の策として「緊急寄付のお願い」を呼び掛けているが、幸いなことに「NBSが潰れたら困る」といって、寄付をしてくださる方が相次いである。「貧者の一灯ですが・・・」と言葉が添えられていたりするが、金額の多寡ではなく、その気持ちがとてもありがたく、涙が出るほど嬉しい。