新『起承転々』〜漂流篇VOL.18 シジフォスの岩

シジフォスの岩

 今年の夏は殺人的な暑さのうえに、殺人的な公演スケジュールに追いまくられ、半死半生状態で仕事に明け暮れていた。7月末からワーグナーのオペラ並みの長さの「世界バレエフェスティバル」が20日間続き、その間に東京バレエ団は横浜港に面した野外ステージでの〈横浜ベイサイドバレエ〉の公演があり、8月下旬には毎年開催している6日間にわたる〈めぐろバレエ祭り〉があった。本号が皆さまの目にふれるのは、ローマ歌劇場の日本公演に突入しているころかと思う。
 つねづね私は「シジフォスの神話」のシジフォスだと自嘲している。ギリシャ神話のシジフォスは、神々の怒りをかって巨大な岩を山頂へ押し上げる苦行を科せられた。押し上げた岩はすぐに谷底に転がり落ち、シジフォスは果てしない徒労を繰り返す。やっと、「世界バレエフェスティバル」という巨大な岩を山頂へ押し上げたと思ったら、その岩は再び転がり落ち、今度は〈めぐろバレエ祭り〉という岩を山頂へ押して運ぶ。山頂に運び終えた瞬間、その岩はまた転がり落ちてしまう。そして、今度は「ローマ歌劇場」という別の巨大な岩を山頂に運ばなければならないという苦行が待っている。私は神の怒りをかうような悪いことはしていないと思っているのだが、こんな刑罰を科せられているのは、前世によほど大きな罪を犯したに違いないと諦観せざるを得ない。世の中には自分もシジフォスだと思っている人はたくさんいそうだが、人生は多かれ少なかれ、似たようなものかもしれない。それでも私の仕事に救いがあるとすれば、岩を山頂にまで運び終えたときの一瞬の達成感か。後悔が残ることがあっても徒労だとは思っていない。それに毎回岩の大きさと形と重さが違うから続けてこられたのかもしれないと思う。NBSの仕事はバレエだけではなくオペラやコンサートもあるので、いくらか気分を変えられる。毎回同じ岩を運ばなければならないとしたら、もっと辛いだろう。
 いま山頂に向かって押し上げている岩はローマ歌劇場だが、オペラの引越し公演を取り巻く環境が大きく変化しているのを実感している。NBSは1974年のバイエルン国立歌劇場を皮切りに、ほぼ毎年のように引越公演を手がけてきた。私は1979年の英国ロイヤル・オペラから携わっているのだが、振り返ってみて私自身が齢をとったせいかもしれないが、オペラの引越公演における熱量が以前よりだいぶ減ってきているように思う。その原因はなんといっても観客の高齢化であり、若い観客が育っていないことだろう。1987年の〈ニーベルングの指環〉全曲日本初演をきっかけにオペラ・ブームが巻き起こったが、それはバブル景気が大きく影響していた。バブルが弾けると、1990年代半ばから少しずつ元気がなくなってしまった。その要因はいくつかあるが、そのほとんどはお金さえ調達できれば何とか解決できることのように思う。一番の問題はお金がないことなのだ。私の職務上お金の苦労がつきまとうのは仕方ないにしても、お金で解決できないこともある。それは観客の高齢化と、新規の観客が育っていないことだ。
 今回のローマ歌劇場はすべてマチネ公演になっている。これも観客のニーズを反映してのことだが、本来ならオペラは夜の文化であるべきだと思っている。これから先も舞台芸術が生き延びていくためには若い血が必要なのだ。欧米のオペラハウスは若い観客の育成に熱心で、それは自分たちの義務だと認識されている。日本の芸術団体もそれぞれ個別に細々と若い観客を増やす努力をしているが、それだけではとても間に合わない。民間でできることには限界がある。政府は文化国家を標榜しているが、そもそもカルチャーの言葉の原義は「精神の耕作」なのだから、耕して育てなければならないはずではないか。政府は次世代の観客育成に本腰を入れて取り組んでほしい。まずは海外のオペラハウスに一番近いと思われている新国立劇場にその役割を担わせ、そのための予算をふんだんにつけたらどうだろう。若い観客を育てることこそ、舞台芸術に携わっている者すべてに関わる共通の課題だ。学校での音楽教育の一環としてでもなんでも、子供たちがオペラやバレエ、コンサートを生で体験できる機会を増やしてもらいたい。舞台芸術を好きになってもらうためには生の体験に勝るものはないのだから。AIがどんどん生活の中に入り込み、世の中が急激に変わろうとしているが、いま国や地方自治体、公共機関が率先して「精神の耕作」に取り組み、若い観客を育てる施策を講じなければ、いま舞台芸術は坂を転げ落ちるように衰退していく危険なタイミングに差し掛かっているように感じる。
 われわれの文化事業はつくづく不条理なことだらけだと思うが、これまで長く私が刑罰にも似た苦行に耐えてこられたのは、観客の皆さまのご理解と励ましがあればこそ、と齢を重ねるにつれ感謝の念が強くなっている。誤解のないように申し添えるが、私が悲観的なだけでNBSの職員たちはやりがいをもって、元気いっぱい岩を押し上げているように見える。今後、一人でも多く一緒に力を合わせ、岩を押してくれる人が現われてくれることを願っている。
 今日も大岩ならぬ大きな問題を抱えて、シジフォスは山頂をめざす。