新『起承転々』〜漂流篇VOL.20 踊る外交使節

踊る外交使節

 東京バレエ団のオマーン・ツアーから戻ってきたところだ。中東のイスラム文化の中での公演は、いろいろな意味で刺激的だった。なぜ東京バレエ団がオマーンで公演することになったか。オマーンにはロイヤルオペラハウス・マスカット(ROHM)というカブース国王が2011年に建てた劇場があって、そこに次々と世界の一流団体が招かれて公演しているのだ。オマーンが素晴らしいところだということは、オマーンを訪れた何人かのアーティストから聞いていたが、正直、ピンとこなかった。中東というだけで余計な先入観があったせいもあるが、実際にオマーンを訪れてみて、自らの不明を恥じることになった。街は安全でクリーンだし、人々はとてもフレンドリーで穏やかだ。国が急速に成長しているのも感じられる。
 このオペラハウスは音楽好きのカブース国王が、ポケット・マネーで建てたと聞いたが、外観はまさに白亜の殿堂。入口前の広場は、全面磨き上げられた大理石で湖面のように光っている。劇場内は大理石と木でできており、イスラム様式の繊細な細工が施されていて、息を呑むばかりに美しい。「贅を尽くした」という言葉は、この劇場を形容するためにあると思えるほどだ。この劇場を語るには、どうしてもカブース国王についてふれなければならない。この国王はオマーンの建国の父といわれる存在で、街中いたるところに肖像が掲げられているが、どこぞの国の独裁者と違って、数々の偉業を成し遂げたことによって国民から心底敬愛されているようだ。1970年まで鎖国をしていたが、現国王がクーデターを起こし、国王の地位に就くや積極的な開国政策を進め、教育に力を入れたり、女性の待遇を改善したり、さまざまな改革を施して国を急激に発展させた。首都マスカットは隣国の超高層のモダンな建物が林立するドバイなどと違って、白を基調とした伝統的な様式の建物による街並みが美しいが、それも国王の意向らしい。
 今回のオマーンでの体験で、これまで発展途上国だった国の発展のスピードが凄まじく、世界がめまぐるしく変わっていることを、あらためて実感した。ROHMは想像を絶する豪華な劇場だったが、ドバイにも立派なオペラハウスができているし、アブダビにも建設中だ。オペラやバレエは世界共通の芸術だから、この分野でも欧米に肩を並べようと、中東の金満国がオイル・マネーにあかせてオペラハウスを建てているように思える。日本はこれまでこの分野では先進的な位置を維持してきたが、このままでは中東やアジアの金満国にその地位を奪われかねないと危機感を覚える。東京はオペラやバレエが上演できる劇場が足りず深刻な状態が続いている。国や東京都が税金を使って劇場をつくろうとしても、すぐにどこからか反対運動が起こるだろうから、いっそ音楽好きの大金持ちが、カブース国王並みにプライベート・マネーでオペラハウスをつくってくれないものか。
 ROHMの観客は現地の人よりも外国人が多く、いわゆるハイソサエティーに属していると思える人たちだ。観客の反応は控えめで発展途上だと感じられるが、この劇場には世界一流の団体が次々と訪れているから、この国の進化のスピードから考えると、数年後には欧米の劇場芸術が盛んな国と同様の目や耳が肥えた観客が育つにちがいない。
 最終公演の終った後、オマーンの日本大使館が大使公邸でレセプションを開いてくれた。新任大使が着任前で、山本代理大使をはじめ館員がもてなしてくれたが、芸術文化による国際間の協調や融和を理解している外交官がふえていることを頼もしく思った。東京バレエ団は海外の有名バレエ団とちがって、公的支援が少ない民間団体だが、国を代表する芸術団体には“外交使節”の役割があることを、あらためて実感した。東京バレエ団はこれまでに31か国154都市で公演しているが、これは創立者の佐々木忠次が創立当初から海外公演に積極的に取り組んできた結果だ。東京バレエ団は来年の6月から7月にかけて、3週間にわたるヨーロッパツアーを行う。まず、ポーランドと日本が国交樹立100年にあたることから、ウッチ歌劇場で公演することになっている。続いてオーストリアとの友好150周年を記念して、33年ぶりにウィーン国立歌劇場に出演する。その後、ローマのカラカラ野外劇場、ミラノ・スカラ座でも公演をするという大掛かりなツアーになる。海外のダンサーたちにこのツアーのスケジュールを見せると、一様に目を丸くする。ウィーン国立歌劇場とミラノ・スカラ座というオペラハウスの最高峰をいっぺんに踏破するツアーは、世界中のどこの団体も簡単に組めないだろう。外交的にも東京バレエ団が果たしている役割はけっして小さくないと自負しているが、こうした芸術文化の国際交流はマスコミが取り上げてくれないから、なかなか周知されない。手前味噌かもしれないが、世界共通の芸術であるバレエで東京バレエ団が国際的に評価されていることを、もっと多くの人に知ってもらいたい。オマーン公演での体験を通じ、ますますその思いが強くなった。