新『起承転々』〜漂流篇VOL.37 ショウ・マスト・ゴー・オン

ショウ・マスト・ゴー・オン

「クイーン+アダム・ランバート」のコンサートや某デパートで「クイーン展」などがあって、大ヒットした映画「ボヘミアン・ラプソディ」の余韻がいまだ嫋々と続いている。NBSは5月にモーリス・ベジャール・バレエ団を招聘し、クイーンの音楽17曲を使った『バレエ・フォー・ライフ』を上演するが、ベジャールが同作のフィナーレに使った曲が「ショウ・マスト・ゴー・オン」だ。なぜこんなことから書き出したかというと、〈アリーナ・コジョカル ドリーム・プロジェクト2020〉の公演を終えたばかりだが、ここ数日、私の頭の中では「ショウ・マスト・ゴー・オン」のフレディ・マーキュリーの魂の叫びのような音楽が鳴り響いていたからだ。
 それというのも〈アリーナ・コジョカル〉と名打った公演で、当のコジョカルから直前になって怪我をしていることを知らされ、どう解決するかで頭がいっぱいだったのだ。まさに「ショウ・マスト・ゴー・オン」で、なんとしても公演をやり通さなければならないという強迫観念に怯えていた。我々の仕事は出演者の怪我や病気は付きものだし、不測の事態に振り回されることもある。まもなく来日するパリ・オペラ座バレエ団は、一時期フランス国内でのストライキで日本公演が危ぶまれていたし、いま感染が拡大している新型コロナウィルスによって公演が中止にでも追い込まれたらたいへんなことになる。この仕事はリスクだらけで、心配の種が尽きないのだ。
 今回、コジョカルはAプロでバランシン振付の『バレエ・インペリアル』と『ドン・キホーテ』ディヴェルティスマン、Bプロでは『マルグリットとアルマン』ほかの作品に出演することになっていた。コジョカルから怪我を知らされたのはAプロ初日の5日前。ハンブルクで踊って身体を痛めたらしい。彼女が来日したのが2月2日で、初日は2月5日。当初は予定されている作品すべては踊れないものの、怪我の状態はそれほど悪くないと感じていた。さすがにハードな『バレエ・インペリアル』は無理だということで、作品の指導者として来日中のベン・ヒューズと相談し、幸いなことに英国ロイヤル・バレエ団のヤスミン・ナグディが他の公演のために滞日中だったことから、芸術監督のケヴィン・オヘアに頼み込み、スケジュールをやりくりしてもらって、なんとか彼女に参加してもらえることになった。ハンブルク・バレエ団の菅井円加もジョン・ノイマイヤーが無理を聞いて派遣してくれた。シュツットガルト・バレエ団のエリサ・バデネスは芸術監督のタマシュ・デートリッヒが、リハーサル・スケジュールがびっしり入っていて普通なら断るところだが、NBSとのこれまでの関係から何とかしようと申し出てくれた。出演者が代われば、演目も変わらざるを得ない。こうした顛末で今回は当初発表した内容と大幅に変わってしまった。コジョカルの怪我や不測の事態が重なったとはいえ、当初発表したプログラムにご期待いただいていた方々には、申し訳なく心からお詫び申し上げたい。一方、救いの手を差し伸べてくださった関係各位には感謝の気持ちでいっぱいだ。
 我々にとって一番重要なのはチケットを買ってくださった観客の皆さまの信頼を損なわないことだ。出演者や演目に変更があっても、観客が公演をご覧になって満足してくれたかどうかだ。舞台は生身の人間がやることだから、突然、何が起こるかわからない。今回の場合も、コジョカルをもっと観たかったという声があったが、期待を裏切ることになって申し訳ないと思う反面、これが生身の人間が演じる舞台芸術の宿命であり、代役がきっかけで新しい才能に光が当たることもあるから、生の舞台の魅力は一期一会にあると前向きに捉えてもらえるとありがたい。劇場に足繁く通ってくださっている方は、わりあいにキャスト変更に対し寛容だが、今回のようにアリーナ・コジョカルだけが目当てで、他の出演者にはあまり関心がないという人には不満が残ったに違いない。この拙稿を読まれ、主催者の言い訳にすぎないと受け止められる人も少なくないだろう。それは入場料をもらっている以上、仕方がないとわかっていても、収益だけを目的とした1回かぎりの興行と、畑を耕すように長く継続していかなければならない文化事業とでは根本から違うと思っている。NBSは39年にわたって文化事業に取り組んできたし、今後も続けなければならない。観客の皆さまにご満足いただける場合も、ご満足いただけない場合もあると思うが、ぜひ生の舞台の本質をご理解いただき、これからも末永くお付き合いいただけることを願っている。
『バレエ・フォー・ライフ』のフィナーレは、「ショウ・マスト・ゴー・オン」の音楽に合わせ、モーリス・ベジャール(ベジャール亡き後は、現芸術監督ジル・ロマン)のもとに、ベジャール・バレエ団のダンサーが一人ひとり駆け寄り、ベジャールとハグしたり、握手したり、お辞儀を交わしたりする。そしてベジャールと団員が一緒になって客席に向かって歩みを進めるのだが、それだけで胸が熱くなる。舞台は出演者と観客が一体となって創り上げるものだということを実感させてくれる。今回のコジョカル公演のトラブルに直面し、ショウだけではなく仕事も人生も、困難を乗り越えながら続けていくことに意義があると思い知った。不治の病に冒されていたフレディ・マーキュリーの絶唱は、そのことに気づかせてくれた。