ロバート・カーセン演出版のあらすじと聴きどころ
幕の上がった舞台上では、ダンサーがリハーサル中。オペラ『ナクソス島のアリアドネ』は、《アリアドネ》というオペラの上演が行われることになっていたその日、主催するパトロンの意向で、急遽オペラの後にダンスも上演することになった、というところから始まる。通常は、始まりの音楽の後に幕が上がり、公演を前にてんやわんやの舞台ウラから始まるが、ロバート・カーセンの演出では、この始まりの音楽は、急遽決まったダンスの仕上がり具合を公演監督を務める音楽教師とパトロンの秘書が最終チェックする場面という設定となっている。 このダンスが終り、音楽教師と秘書が打ち合わせをしているところに、人気踊り子ツェルビネッタ率いる一団が呼ばれて来る。音楽教師から事情を聞いたオペラの作曲家はこの変更に憤慨するが、ふと、うつくしいメロディが頭に浮かぶ(「ヴィーナスの息子よ」)。 威圧的なティンパニの音が鳴り響き、またもパトロンの意向が告げられる。今度はオペラと踊りを同時に上演せよ、と。作曲家は芸術の破壊だと失望し立ち去ろうとするが、お金のためにやむなく止まる。そしてツェルビネッタにオペラ《アリアドネ》の本質を話すが、ツェルビネッタはまったく理解しないばかりか、「要するに、古い恋人と新しい恋人をとりかえるのね」と勝手な解釈を仲間たちに伝える。なおもヒロインのアリアドネについて夢中で語る作曲家だったが、いつのまにか、魅惑的なツェルビネッタの美しさと甘い言葉の誘惑にのり、作品の変更を決意する。感情を高揚させた作曲家は、「音楽こそは聖なる芸術」と、音楽の素晴らしさを賛美するが、開演が迫り、もはや彼の理想の芸術を守るための変更の時間は残されていなかった。オペラの開幕のために降ろされた幕前で茫然とする作曲家。仕方なく客席に着くと、オペラ《アリアドネ》が始まる。 神秘的な序曲が奏された後、3人のニンフたちがさざ波を思わせるような三重唱を歌う。愛するテセウスに捨てられ、ナクソス島に置き去りにされたアリアドネの嘆きを聞くのは慣れてしまったと。まどろみから目覚めたアリアドネは、自分を置き去りにしたテセウスのことを思い出し、死んだも同然の我が身を嘆く(「テセウスとアリアドネは美しい結びつきだった」)。ハルレキンがセレナードを歌って慰める場面、道化として同情する彼らは、ツェルビネッタと同じ衣裳とカツラを着けた女装姿。だからというわけではないが、アリアドネは聞く耳をもたず、死の国に憧れ、辛い生から解放してほしいと長大なモノローグを歌う(「すべてが清らかな国がある」)。アリアドネを元気づけようと、女装を脱ぎ捨て陽気に歌い踊りはじめる4人にツェルビネッタも加わる。恋の経験豊かなツェルビネッタは、アリアドネに、自分を捨てた男のために追慕の涙を流すのは無駄なこと。女の心はたやすく変わりうるものよ、と説得する(「偉大なる王女様」)。ツェルビネッタが歌うこの長大なアリアは、コロラトゥーラ・ソプラノの超絶技巧を駆使したオペラ史上屈指の難曲で、この作品最大の聴かせどころ。カーセン演出のツェルビネッタは奔放な魅力全開で、男性ダンサーたちを従えて歌い踊る。アリアドネが舞台からいなくなると、今度はツェルビネッタを口説こうと、男たちが群がる。あの手この手で迫る男たちのなか、いつの間にかハルレキンとツェルビネッタが抜け出している。 突如音楽の雰囲気が変わり、トランペットのファンファーレが鳴り響く。一筋の光のなか、一人の男が現れる。バッカスの登場だ。アリアドネは最初、彼を死の国の死者と思い込んでバッカス腕に飛び込むが、彼の接吻は新しい愛をもたらすものだった。新しく生まれ変わったアリアドネとバッカスは恍惚と二重唱を歌いあげ(二重唱「よくおいでくださいました、使者の中の使者よ」)、傍らでツェルビネッタは二人を見守る。