[ロイヤル・オペラ]『椿姫』ロンドン公演レポート

[ロイヤル・オペラ]『椿姫』ロンドン公演レポート

華麗さと迫真、これぞロイヤル・オペラが誇るゲオルギューのヴィオレッタ!

秋島百合子[ロンドン在住ジャーナリスト]

 ゲオルギューのヴィオレッタがついに7月8日、ロイヤル・オペラ・ハウスに戻ってきた。1994年の初演後、96年にロベルト・アラーニャと夫婦共演で再演して以来の出演だ。リチャード・エア演出による正統派の舞台は、ロイヤル・オペラの看板プロダクションといえる。世界のトップスターを迎えて何度も上演されているが、今回ほど話題になり、熱狂的な拍手と歓声を呼び起こしたことはない。

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 冒頭、ヴィオレッタの生い立ちを思わせる貧しい少女の写真が舞台全面に映し出される。やがて哀しくも愛に満ちた旋律に乗って、舞台端にぽつりと座るアンジェラの物憂げな姿がスポットライトの中に浮かび上がった。なんという美しさ。まだ一声も発していないのに、まるで悲しみの歌を口ずさんでいるようだ。
初演以来、記憶の中に留めていたヴィオレッタが目の前に現れて、タイムトンネルの向こう側にたどり着いたような気分になった。
ところが今回のゲオルギューは、決して16年近く前とは同じでないことが早々にわかった。病のためだけではなく、暗い過去と夢のない現在を一身に背負う苦しみが大きなアリアにも軽い語り口の歌にもにじみ出ている。高音を出し切る時など今にも病気で倒れてしまわないかと思うのに、ほんとうはびくともしない。弱々しくつぶやくようでいて、実際には強く高らかに響かせているのだから。
1幕では、成熟したエレガンスと悲しみを隠すためのきりりとした立ち振舞いが、帰り際のパーティ客を見送る後ろ姿にまで現れている。そのすぐ後、純粋な恋に心をときめかせ、一瞬の内にそれを打ち消して快楽に生きようと自らにいいきかせる演技がすさまじい。 黒髪をときほぐして崩れ落ちんばかりに取り乱し、またすぐ気を取り戻して虚飾の世界に舞い戻るのである。
ジェームス・ヴァレンティのアルフレードは控えめでハンサムで、甘い声の中にやるせない思いを募らせる。透き通るような情熱の声は、思いつめたら何をしでかすかわからない若さゆえの危険をはらんでいる。

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そうはいっても、登場人物を生かすも殺すも演出家の腕次第であることも事実だ。ナショナル・シアターの芸術監督を務めたイギリス演劇界の大物、リチャード・エアが彼女を演出するためにわざわざ戻ってきたことが大きな力になった。
「このオペラは人間の行いを描いているのだから、それを信じさせる演出でなければなりません」
初演の翌日、エアは電話インタビューでそう言った。エアの演出は、パーティから田舎家、うらびれたヴィオレッタの住まいまで、映画や演劇のようにリアルに描いている。
「1週間ほどのリハーサルで、アンジェラと一緒に忘れたところを思い出し、さらに彼女から細やかな演技を引き出しました。人間は年月を重ねると様々な感情がわかってくるものですから、ヴィオレッタの悲しさを理解し、緊張感を出せるようになるのです。この女性はあれだけ大きなものを諦めたのだから」

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 たしかにゲオルギューは、初演当時の衝撃的美貌は変らぬままに、若さゆえの激しさや一途な心ゆえの無鉄砲さを脱皮して、しっとりとした落着きと厭世的な距離感さえ感じさせる「熟れたヴィオレッタ」に変身していた。16年の間に、エアのいうように様々な感情を体験してきたのかもしれない。この期間にロイヤル・オペラでは、「椿姫」を甘くほろ苦いコメディにしたようなプッチーニの「つばめ」や「ファウスト」「トスカ」のプレミエ、「シモン・ボッカネグラ」の再演などを歌って多大の賛辞を集めてきた。
しかし振り返ってみると、これらの役はすべてエア演出のヴィオレッタに戻るために歩んだ人生の経路であり、今回のロンドン公演と日本公演で歌うのは当然の帰結ではないかと思えてきた。それほどにゲオルギューは、ヴィオレッタそのものなのだ。

photo:THE ROYAL OPERA/Catherine Ashmore

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