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2010/03/24 2010:03:24:11:59:31

東京バレエ団「オネーギン」稽古場レポート

 3月上旬の午後。春を感じさせる柔らかな光が窓から稽古場に差し込む。『オネーギン』稽古初日から数日。タチヤーナ役とオネーギン役を務める斎藤友佳理&木村和夫、吉岡美佳&高岸直樹、田中結子&後藤晴雄の三組は、振付指導のジェーン・ボーンを待ちながら、ウォーミングアップや打ち合わせに余念がない。
 やがて、姿を見せたボーンはおもむろに、アガサ・クリスティの本を配布。「え?」と皆が困惑していると彼女は、タチヤーナがオネーギンに見せる小道具の本の代わりだとネタばらし。そう、この日の稽古は、タチヤーナとオネーギンが二人で散歩する1幕の中盤からなのだった。「本当はロマンティックなフランスの小説か何かだと思うけれどもね」。一同の緊張がふっとほぐれた。

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(左から)吉岡美佳-高岸直樹、斎藤友佳理-木村和夫、田中結子-後藤晴雄


すれ違うタチヤーナとオネーギン

 レッスン・ピアニストがチャイコフスキーのロマンティックなメロディーを奏で始めると、ボーンが実際に動き、後ろでダンサーたちが倣(なら)うかたちで稽古スタート。本当は2人だけの場面なのだが、総勢6名が一斉に動くさまは壮観。稽古場ならではの風景だ。ボーンの指導は、立ち止まる位置、振り返るタイミング、顔の向き、目線といった動きの具体的な指示から、人物の心理状態の説明まで、微に入り細を穿(うが)つ。タチヤーナは三者三様。斎藤は既に役柄に入り込んでいる表情。吉岡は自分の中で感情が熟すのを待ちながら演じているように見える。田中は楚々とした可憐な雰囲気。と、吉岡に「それは3幕での歩き方よ」との注意が飛んだ。大人の女性となる3幕と違い、ここでのタチヤーナはまだ少女。改めてダンサーには、年齢を瞬時に演じ分ける力量が求められることがわかる。

 「次はサプライズリフトね」とボーン。オネーギンがタチヤーナを何の気なしに抱き上げるリフトだ。タチヤーナはこのリフトでオネーギンにときめきをおぼえるのだが、オネーギンは一瞬ののちには別のことを考えている。2人のその後を暗示する場面でもあるだろう。
 そして、額に手を当て、憂いに満ちた雰囲気で始まるオネーギンのソロ。「オネーギンは人生に不満を持っていて退屈しているの。彼の中では虚構と現実が常に交錯しているのよ」とボーンが解説する。心ここにないオネーギンのあてどない気持ちを表すように、回転が、ジャンプが、続けざまに展開される。動きは激しいが内面は沈んでいるため、複雑な表現力が必要になってくるところだ。高岸は力を出し惜しみすることのなくエネルギッシュにこなす。一方、木村は持ち前の丹精な動きをかたどっていく。後藤はしっとりとした叙情的な雰囲気で振りを追う。タチヤーナは彼女の存在も忘れがちなこうしたオネーギンの姿を見て恋してしまうのだから皮肉なものだ。
 ボーンの指導は厳密なばかりではない。「ここは指揮者に相談して自分のテンポを作ってね」「プレパレーションをゆっくりしたい人は左足、すぐ動きたい人は右足からどうぞ」と、演じ手に委ねられる箇所もあった。

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(写真はすべてクリックすると大きな画像をご覧いただけます)


求愛と拒絶の応酬の果てに・・・

 ごく短い休憩ののち、稽古は三幕後半のタチヤーナとオネーギンのパ・ド・ドゥへ移行。先ほどとは打って変わり、今度はオネーギンがタチヤーナを追いかける立場だ。タチヤーナの後ろからすがりつくオネーギンと、彼を振り払うタチヤーナの動きが繰り返される。「誘惑に負けないようしっかりして!」とタチヤーナたちにボーンの檄が飛ぶ。
 逃げるタチヤーナを捕らえたオネーギン。その手を離すまいとつかんだまま、手を持ち変えることなく続くデュエット。腕がねじれそうだ! 捕まえて、押しのけて、引っ張って、惹かれながらも拒んで......。テンポが大事だがテンポ良く弾んで見えないようにしなければならないところもポイントだろう。ちなみに、膝を引きずりながら追いすがるオネーギンたちにとって、膝パッドは必須アイテム!
 三人のタチヤーナ像はこれから本格的に作られていくところだが、斎藤はふとした瞬間に愛情が隠し切れずこぼれそうで、だからこそ拒絶のさまも激しいといった雰囲気。一方、吉岡は深く悲しみ、困惑しているような風情だ。田中はまだ感情的な部分を作るよりもまず動きをじっくりと確かめていた。
 さて、この日は初めて、「アイロン台」という終盤のハードなリフトの指導が行われた。男性が女性の腰の下のほうをもち、頭の前に掲げた後、肩に女性を乗せてから前へ降ろすというもの。初めてのリフトには危険が伴うため、1組がトライしている時にほかの男性陣が自然に集まり、さりげなくスタンバイしていたのも印象的だった。


 複雑で繊細、アクロバティックでドラマティック。演じ手に多くを求める『オネーギン』。だからこそすべてがつながった時、この上なく鮮やかで感動的なドラマとなるのだ。

取材・文/高橋彩子(舞踊・演劇ライター)


photo:Kiyonori Hasegaa