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2011/07/14 2011:07:14:11:16:10

全身全霊を込めて瞬間を生きるヴィシニョーワのジゼル~柴田明子(バレエ評論家)

この夏急遽開催がきまった、ディアナ・ヴィシニョーワ&セミョーン・チュージンの「ジゼル」。公演に先立ち、バレエ評論家の柴田明子さんにヴィシニョーワの「ジゼル」の魅力を執筆していただきました。


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全身全霊を込めて瞬間を生きるヴィシニョーワのジゼル


11-07.13_01.jpg ディアナ・ヴィシニョーワほど、強く生命力を感じさせるバレリーナはいない。舞台に登場した瞬間、観客たちの目を惹きつけてやまない華麗なる存在感。確かな技術に裏打ちされたニュアンス豊かな踊り。それらが圧倒的な迫力で迫ってきて、ヴィシニョーワという一人のダンサーのみならず、私たち誰もが本来持っているはずの命の力強さまでをも感じさせるのだ。
 クラシックバレエの最高峰『眠れる森の美女』で、舞台の真ん中に燦然と輝くオーロラ姫。たった一人で(一羽で)魔王とその手下たちをやっつけてしまう『火の鳥』。愛に殉じる『シェヘラザード』のゾベイダ。それらはまさにヴィシニョーワのためにあるような役だろう。
 そんな彼女の個性からすると、「踊りが大好きだが身体の弱いジゼル」は、一見不似合いな役に思われるかもしれない。だが、ヴィシニョーワのすごいところはここからだ。
 私が彼女の生命力をもっとも感じるのは、実は役柄への深い解釈に対してである。たとえば、長らく彼女向きではないと言われてきた『白鳥の湖』。役柄と自分の個性を突き詰めて、いままでに見たことのない、彼女にしかできない、独創的なオデットとオディールを生み出した。その力強さ、バレエにかける思いはヴィシニョーワ自身の命の輝きでなくてなんであろう。ヴィシニョーワの手にかかったら、どんな役柄をも彼女の方に引き寄せられてしまうのだ。実際、彼女の踊る「ジゼル」は彼女にしか踊れない非常にオリジナリティに富んだ感動的な『ジゼル』である。
11-07.13_02.jpg ヴィシニョーワのジゼルは生命力にあふれている。踊るときも、アルブレヒトへ愛情を注ぐときも、全身全霊、まるでその瞬間に命をかけているようなのだ。狂乱の場面も私には、そのあまりに激しい自身の生命力に耐え切れず、とうとうジゼルの身体が壊れてしまったというふうに思えてならない。だから、二幕でジゼルが墓から甦り、激しく高速で回転するさまを見ているとき、「ああ、彼女の魂はいまやっと、彼女が本来望んでいたように、思いっきり踊り、思いっきり人を愛することができるようになったのだな」という不思議な安堵感と開放感を感じたものだ。アルブレヒトをウィリたちから守ったのも、死してなお彼女のまわりに渦巻く、その生命力だったのかもしれない。ラストシーンは、普通の『ジゼル』で味わう、ジゼルとアルブレヒトがもう二度と再び会うことはないのだという悲しさに加え、やっと自由を得たジゼルがそれゆえ彼と永遠に別れなければならないというジゼル自身の悲劇という二重の悲しみをたたえていて、涙をこらえることができなかった。
 この夏、ヴィシニョーワが三度東京で『ジゼル』を踊るという。今回のパートナーはモスクワ音楽劇場バレエのセミョーン・チュージン。昨年のバレエ団での来日公演『エスメラルダ』で冷徹なフェビュスを演じた彼を覚えている方も多いだろう。モスクワ音楽劇場期待の若手である。前回の『ジゼル』から五年。さらに役柄を深めたヴィシニョーワが新たなパートナーを得て、どのようなジゼルを見せてくれるのか。いまから楽しみでたまらない。


柴田明子(バレエ評論家)

photo:Kiyonori Hasegawa




●ディアナ・ヴィシニョーワ「ジゼル」(2006年の公演より)